|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 管区 : [かんく] 【名詞】 1. jurisdiction ・ 区 : [く] 【名詞】 1. ward 2. district 3. section ・ ローマ帝国 : [ろーまていこく] (n) Roman Empire ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 帝 : [みかど] 【名詞】 1. (1) emperor (of Japan) 2. mikado 3. (2) (the gates of an) imperial residence ・ 帝国 : [ていこく] 【名詞】 1. empire 2. imperial ・ 国 : [くに] 【名詞】 1. country
管区(かんく、古典ラテン語:、ギリシア語:)とは、帝政後期のローマ帝国における行政区画である。テトラルキア体制の始まりとともに創設された。複数の属州を束ねる中位の行政府を形成し、道の下位に置かれた。 == 歴史 == 「管区」という言葉が行政単位として初めて使われたのは、ギリシア語圏の東方である。キリキア、アパメア、シュンナダの3つの「管区」がキリキア属州に併合されたと、キケロが『縁者・友人宛書簡集』の中で書いている〔Cic.Fam.3,8,4.〕。当時、「管区」という語は徴税の管轄区域と同義であったが、その地域そのものを指すようになった。 テトラルキアとして知られる帝国の再編は、ディオクレティアヌスによって290年代に始まった。属州を分割・縮小し、巨大な官僚制の下で、より管理しやすい単位へと変えたのである。属州は12の管区にグループ分けされ、最大の管区であるオリエンス管区は16属州、最小の管区であるブリタンニア管区は4属州で構成された。各管区には管区代官(, プラエフェクトゥス・プラエトリオ〈道長官〉代理)が置かれ、その統治に当ったが、オリエンス管区のみ代官ではなく総監が置かれた。テトラルキア体制下では、2人の正帝は、それぞれ1人のプラエフェクトゥス・プラエトリオを従えていた。 4世紀半ばに道が確立された後は、管区は4つの巨大な道に束ねられ、各道は道長官へと職務が変質したプラエフェクトゥス・プラエトリオが治めるようになる。その頃の管区は道と属州の中間に位置する行政単位として機能を果たしたが、その序列は厳格ではなかった。属州総督は道長官あるいは皇帝に直訴できたし、逆に道長官や皇帝が属州総督に直接命令を下すこともできた。 西ローマ帝国では、ローマの勢力衰退とともに管区は解体された。東ローマ帝国では存続したが、あまり機能してはいなかった。ユスティニアヌス1世が530年代の改革で管区のほとんどを廃し、属州総督の権限を強化することを好んだからである。この慣例は奪回したイタリアとアフリカにも及んだ。ユスティニアヌスはイタリア道とアフリカ道の道長官を任命し、各属州を直接監視させた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「管区 (ローマ帝国)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|